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『謎の会社、世界を変える。』ブログで紹介しましょうキャンペーン
最注目ベンチャー・エニグモ共同経営者(須田将啓・田中禎人)の初著作
『謎の会社、世界を変える。』
が発刊します!



ぜひ、本書を皆さんのブログで紹介いただけませんか?
エニグモと本書とともに、「世界を変える」ボタンを押してみましょう!

<キャンペーンの内容>

1)本書の「立ち読み」(下記)を読んで下さった方は、その感想をブログに書いていただけると嬉しいです。
 (本書についての感想、エニグモについて興味を持ったこと、起業することについてなど、ご自由に)

2)キーワード『謎の会社、世界を変える。〜エニグモの挑戦〜』「ミシマ社より2008年3月14日刊行」を盛り込んでいただけると、なお嬉しいです。

3)「謎の会社」というキーワードをクリックすると、指定サイトにアクセスできるよう、アンカーテキスト(ハイパーリンク)を貼っていただけると、さらに嬉しいです。
ミシマ社HPアドレスはhttp://www.mishimasha.comです。

4)表紙の画像を掲載していただけると、もっと、うれしーです!

5)株式会社エニグモのサービス「プレスブログ」に登録されてから、ブログで紹介してくださると最高です!


立ち読み

プロローグ

「世の中を変えるボタン」がある。
そのボタンを押すと、世の中に小さな変化が起こる。その変化は、最初はゆっくりと、そしてだんだんスピードを上げながら、じわじわと勝手に広がっていき、気がついたときには世の中の価値観をすっかり変えてしまっている。

これは僕らの起業の物語だ。
二00二年の冬に最初のサービスのアイディアを思いついてから、約一年後の二00四年二月に仲間たち四人と一緒に、エニグモという会社を作った。僕たちは、二00八年二月現在までに、バイマ、プレスブログ、フィルモ、ローミオ、シェアモという五つのサービスを世に送り出した。
いつも「新しいサービスを作る」という視点で考えてきたため、自然と五つとも「世界初」のサービスになった。最初のサービスであるバイマは現在、世界五四カ国に三0万人の会員を擁し、プレスブログはブログを使った新しい口コミ広告市場を生み出し、アメリカ、韓国にも波及した。
今までにない新しいサービスを立ち上げるということは、裏を返すと「成功する保証がない」ということでもある。
会社を作る前も、作ってからも、予想もできないことがいろいろ起きた。時には本気で腹を立てたし、とても悲しい思いをしたこともある。だが、エニグモを作らなければ、絶対に味わえなかっただろう感動や、人生を変えるような出会いを得ることができた。
たとえ最初はまわりが理解してくれなくても、自分たちの考えやビジョンを信じ続けて、やってみなければわからない、というスタンスでサービスを立ち上げてきた。 起業とはある意味「勝負に出る」ということだと思っている。
僕たちが勝負に出てエニグモを作ったように、エニグモという会社も常に「勝負に出る」会社であってほしいと考えている。
勝負に出ることは、もちろん楽しいことばかりではなく、辛いこともたくさんあるし、失敗するリスクもある。でも、せっかくの人生、勝負を避けて後悔だけはしたくないと思っている。
始まったばかりの会社で、あまり参考にならないかもしれないが、この本を通して、誰かの起業のきっかけや刺激になれば嬉しく思う。
そして、一人でも多くの人が、「世の中を変えるボタン」を押してくれれば、何よりだ。

第一章 起業前夜
二00二年のクリスマスの夜(須田)


「あっ」

斜め後ろの席で、短い声があがった。
振り返って同僚の田中禎人を見た。
田中は腕組みをして虚空をにらみ、何か考えている様子だ。
二00二年も残りわずかとなった十二月二五日、クリスマスの夜。
夜の十時を過ぎたオフィスは人影もまばらで、僕は終わりの見えない企画書作りに取り組んでいた。
いつもはそれくらいの時間でも、フロアは人で賑わっているのだが、その日はさすがにクリスマス。ほとんどの社員は早めに帰社している。
僕と田中は、博報堂という会社に勤務していた。国内では第二位の規模を誇る、大手の広告代理店だ。
僕は入社して三年目。自動車や食料品メーカー、通信会社などのマーケティングを担当していた。田中とは七、八人がメンバーの同じチームに所属していた。
視線をパソコンの画面に戻し、書きかけの企画書の文字を埋める作業に再び取り掛かる。
五分ほど過ぎたとき、ぽん、と肩を叩かれた。
田中が後ろに立っている。
「どうした?」
「すごいことを、思いついた」
すべては、その瞬間から始まった。

二人だけのアイディア会議(須田)

「すごい面白いアイデアを思いついた」
そう言う田中の顔が、いつもとちょっと違う。
何かあるな、と感じた。
思わず、
「いやいや、俺のアイデアの方がすごいよ」と僕も言った。負けず嫌いなのだ。
田中はにやっと笑った。
「じゃあちょっと出し合おうか」
二人でマーケティング局のフロアを出て、会議室に入る。
田中は椅子に座ると、自動販売機で買ったコーヒーを一口啜ってから、口を開いた。
「アメリカで暮らしていたときに普段使っていた日用品を、日本で買おうとしても、なかなか手に入らないことが多いんだ。確かに海外の商品がたくさん輸入されて日本でも買える時代になったけどそれでもまだまだ買えないものの方が圧倒的に多い。
自分のMBA時代の同級生で、わざわざ向こうにいる友人に頼んでまで洋服とかを個人で輸入している人もいる。きっと他にもそういう人が、沢山いると思うんだよね。俺がアメリカにいたときも、『これ、日本で発売したら売れそうだな』と思うことも多かったし、自分のまわりに魅力的な商品がたくさんあるのにその状態を価値化できていないことが勿体ないと思ってたんだよ。
それで、ひらめいたんだが、インターネットを使って、海外にいる人を通じて個人輸入を気軽に頼める仕組みが作れれば、すごい潜在ニーズがあるに違いないと思うんだ。
海外にいる在留邦人のネットワークを構築して、世界中からありとあらゆるものを『お取り寄せ』ができるようなサイトがあったら、使ってみたいと思わないか?」

田中のアイデアを聞いた瞬間に、ぴんとくるものがあった。
前々から漠然と、インターネットという世の中に登場して間もないインフラをもっとうまく活用できる方法があるんじゃないか、と感じていたからだ。

九五年頃、まだ学生だったときにインターネットが登場した。それを見て「これで世の中は変わる」と思った。
だが、現実には、なかなか世の中は変わらなかった。
二00二年末の当時、日本でもブロードバンドが普及しつつあり、ネットの利用者は右肩上がりで増えていた。しかし、その直前、一気に盛り上がった「ネットバブル」 が崩壊したこともあって、「インターネットは張子の虎」という見方が強まっていた時期だった。
いくつかのネットベンチャーが新興市場に上場して話題を呼んだが、結局リアルのビジネスにおいては、ヤフーや楽天、アマゾンなどの資本を潤沢に持つ大手企業が、市場の寡占を始めていた。
その構造は、これまでのマスメディアやマス流通のあり方と、まったく変わらないように思えた。
本当のインターネットのすごさは、知らない世界や知らない個人同士が一気にネットワークされることで、今までとまったく違う世界観や新しい価値が生み出されることにあるに違いないと思っていた。
田中のアイデアは僕が想像していたインターネットの方向性に非常に近かった。

「一年後、やばいよね」(田中)

その頃の気持ちとしては、
「とにかくこのサービスを実現したい」という気持ちが非常に強かった。バイマのビジネスモデルに二人で惚れ込んでいたので、「それがどんな形であってもいいから、世の中に出したい」という気持ちだけだった。
誰かに作ってもらってもいいし、我々だけのものでなくてもいい。
とにかく世の中に問いたかった。
そこで須田と二人で事業計画書を作りこみ、協力してくれそうな会社を探しては、企画書を持ってプレゼンをして回ることにした。

プレゼン相手のビルに着くと、会社に入る前に必ずある「儀式」をした。
二人で毎回、
「世の中変えるぜ!」
「おう!」
と気合を高めたのだ。
その頃、僕も須田も、常に「これで俺たちは世の中を変えるんだ」という強い意識とモチベーションを抱いていた。
いまでも時折、二人で掛け声を出し合った場面を思い出す。起業して以来、辛いことやがっかりしたこともいっぱいあるけれど、「世の中変えるぜ!」と二人で言っていたことを思い出すと、絶対に乗り切れる気がする。

堀江貴文氏へのプレゼン(須田)

木枯らしが吹く季節になり、取引先の社長から、「堀江さんにアポイントを取った」と連絡が入った。
堀江さんとは、当時はまだエッジという名前だったが、あのライブドアの堀江貴文氏のことである。六本木ヒルズに入る前のエッジに電話したところ、うまくいって堀江さんにプレゼンする機会をもらえたという。
堀江さんは当時、若くして成功したITベンチャーの経営者としてメディアにも数多く取り上げられていた。ライブドアがまさに飛ぶ鳥を落とす勢いになる、直前の頃である。
僕と田中も「やった!」「チャンスだ!」と盛り上がった。

プレゼンする相手はエグゼクティブである。
時間もあまりないにちがいない。
そこで、その頃には八0ページ以上に膨らんでいた計画書をそぎ落として、珠玉の一0枚を作った。
我々はそれを「プラチナ・テン」と呼んだ。
「これを一0分でプレゼンするぞ」という意気込みで、リハーサルを繰り返した。
「最初の五ページは俺がしゃべるから、後半の五ページは田中ね」と何度も練習した。
いよいよプレゼンの日を迎えた。
練習の結果、一0分で完璧なプレゼンができるように仕上げて、社長と三人でエッジに乗り込んでいった。
社長室に通され、堀江さんに「はじめまして」と挨拶する。
自己紹介もそこそこに、プレゼンを始めた。
僕が最初の一枚の説明を始めたところ、堀江さんは、企画書をバラバラとめくりだした。こちらとしては、「えっ、順番があるんだから」という気持ちだった。
「このリクエスト機能が……」と僕は説明を続けた。堀江さんは、ある一枚に目をとめて、十五秒ほど考えこむと「ぱたっ」と企画書を閉じた。そして、
「これ、面白いですよ。やりましょう。で、どうやりましょう?」と言った。
プレゼンが始まって、わずか三十秒程だった。
その想像力と決断力とスピード感は、圧巻だった。
プラチナ・テンを作ったけれど、作る必要がなかった。
一枚でもよかったくらいの感じだった。
すごく盛り上がって、その日の堀江さんのブログにも「ある社長が来て、プレゼンしてもらった。アイデアはいい。でも実現できるかな」みたいなことが書いてあった。
それを見て、また田中と喜び合った。
いよいよバイマが実現する道が、見えてきた。

だが、そこから事態は風雲急を告げる。

(つづきは本書で)

第2章 エニグモ誕生!
第3章 世界初第一弾 バイマ、オープン
第4章 失意からの挑戦
第5章 世界初第二弾 プレスブログ
第6章 世界初第三弾 フィルモ
第7章 世界へ

告知 | 12:00 AM | comments (0) | trackback (0) |








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